CIDPの治療 [CIDP]
CIDPを発症してから日に日に筋力の弱まり、末梢神経の脱髄と想像を絶する凄絶な痛みに耐えて生活をしている。
発症してまだ間もない頃は足も丈夫で握力もあった。
しかし、この病は自分が思っている以上に酷い症状になった。2ヵ月に1度、血漿浄化療法の為、入院をせねばならない。これまで免疫グロブリン(IvIg)を投与していたけど最初の投与では右足が動き、運動機能も若干だけど良い方向へ快方した。
しかし、何クールも投与している間に抗体が出来たのか?・・・・次第に効力が薄まり最終的には投与しても効果がない状態になっていた。
そこで代わりに登場したのが血漿浄化療法だ!
首にカテーテルを挿入し、血液にこびりついた私に身体を攻撃している抗体を抜き取り、再び私の身体に戻すという治療法だ。ただこれは人工透析とは全く違って1時間で終わってしまう事だ。もっと多く出来ないのか?私は主治医の先生に聞いてみた。
保険の問題なのか?とか結論から言えば機会一定の量しか入らず1時間が限界との説明だった。
まあ納得(笑)
しかし、これをすることで良いメリットもあればデメリットもある。
メリットの方は浄化後、痛みが和らぐ、痛みが少しだけど消えると言う事、デメリットは首にカテーテルを挿入部分に感染がおこり高発熱を起こす事だ。
全神経の痛覚麻痺により高熱で魘されると言った症状がわからない。
これまで3クール実施してきたけど悉く感染症が起きた。今月13日に4クール目の血漿浄化療法が始まる。感染症を発症しやすい患者は発症しやすいらしくどうしようもないらしい・・・
難病の中でもパーキンソンや筋萎縮側索硬化症等よりも患者数が少なく全国に2000人程しか患者がいないらしく、症例も少ない為、症状を抑える特効薬もない。ただただ痺れ痛みに日々耐えるしか他ないのだ。
私の今の主治医の先生も手探り状態でこのCIDPと言う病に向き合い全力で自分の持てる知識で私の病を少しでも緩和できるよう頑張ってくれている。
また長文になってしまった。
文法が変な事になっている時はご容赦ください。
ここまで読んで頂きありがとうございました。また次回語らせて頂きます。
恐惶謹言
発症してまだ間もない頃は足も丈夫で握力もあった。
しかし、この病は自分が思っている以上に酷い症状になった。2ヵ月に1度、血漿浄化療法の為、入院をせねばならない。これまで免疫グロブリン(IvIg)を投与していたけど最初の投与では右足が動き、運動機能も若干だけど良い方向へ快方した。
しかし、何クールも投与している間に抗体が出来たのか?・・・・次第に効力が薄まり最終的には投与しても効果がない状態になっていた。
そこで代わりに登場したのが血漿浄化療法だ!
首にカテーテルを挿入し、血液にこびりついた私に身体を攻撃している抗体を抜き取り、再び私の身体に戻すという治療法だ。ただこれは人工透析とは全く違って1時間で終わってしまう事だ。もっと多く出来ないのか?私は主治医の先生に聞いてみた。
保険の問題なのか?とか結論から言えば機会一定の量しか入らず1時間が限界との説明だった。
まあ納得(笑)
しかし、これをすることで良いメリットもあればデメリットもある。
メリットの方は浄化後、痛みが和らぐ、痛みが少しだけど消えると言う事、デメリットは首にカテーテルを挿入部分に感染がおこり高発熱を起こす事だ。
全神経の痛覚麻痺により高熱で魘されると言った症状がわからない。
これまで3クール実施してきたけど悉く感染症が起きた。今月13日に4クール目の血漿浄化療法が始まる。感染症を発症しやすい患者は発症しやすいらしくどうしようもないらしい・・・
難病の中でもパーキンソンや筋萎縮側索硬化症等よりも患者数が少なく全国に2000人程しか患者がいないらしく、症例も少ない為、症状を抑える特効薬もない。ただただ痺れ痛みに日々耐えるしか他ないのだ。
私の今の主治医の先生も手探り状態でこのCIDPと言う病に向き合い全力で自分の持てる知識で私の病を少しでも緩和できるよう頑張ってくれている。
また長文になってしまった。
文法が変な事になっている時はご容赦ください。
ここまで読んで頂きありがとうございました。また次回語らせて頂きます。
恐惶謹言
慢性炎症性脱髄性多発神経炎 [CIDP]
約3年前、会社の健康診断に引っかかり、病院で再診をしたところ、血糖値が最悪の数値だった
その時の数値がうる覚えではあるけど450、ヘモグロビンA1cは驚異の16
即入院をし、血糖コントロールの為の食事療法や運動療法で安定した数値を目指した。その頃か左足に痺れと痛みが伴うようになり、その時の検査では糖尿病でよくある糖尿疼痛と診断されていた。
最悪の診断から3ヵ月・・・最悪と呼ばれた数値はほぼ平均値に近い数値になった。
しかし、血糖値、ヘモグロビンA1cが安定しても痺れ疼痛は全く消えず、むしろ痛みが酷くなる方向だった。
何度か色んな検査をおこなった。筋電図検査、自律神経系の検査・・・言われるがまま主治医の詳しい説明もそんなに無かったように思える。
ただ高価な薬だからとフルネームサインとその書類を保健所へ持っていく事を指示された。
当時、それが免疫グロブリン(血液製剤)とは知らされていたわけでもなくただ投与していたという感じだった。退院時、私の病名欄には慢性炎症性脱髄性多発神経炎という見た事も聞いた事も無い疾患名が書かれており、保健所へ行くまでそれが国の特定疾患である難病とは夢にも思っていなかった。
それから3年、私の周りから普通という文字は消え、自由と言う言葉も無くなった。市立病院は大学病院からの派遣の先生が多く、3月になると異動になる先生が多い。私がこの病になってからすでに3人の先生が異動し都度主治医が変わってきた。
今は電動車椅子生活でどこに移動するにもこれがなければ歩く事すら出来ない。
唐突ではあるけど今日はこの辺で終了。
その時の数値がうる覚えではあるけど450、ヘモグロビンA1cは驚異の16
即入院をし、血糖コントロールの為の食事療法や運動療法で安定した数値を目指した。その頃か左足に痺れと痛みが伴うようになり、その時の検査では糖尿病でよくある糖尿疼痛と診断されていた。
最悪の診断から3ヵ月・・・最悪と呼ばれた数値はほぼ平均値に近い数値になった。
しかし、血糖値、ヘモグロビンA1cが安定しても痺れ疼痛は全く消えず、むしろ痛みが酷くなる方向だった。
何度か色んな検査をおこなった。筋電図検査、自律神経系の検査・・・言われるがまま主治医の詳しい説明もそんなに無かったように思える。
ただ高価な薬だからとフルネームサインとその書類を保健所へ持っていく事を指示された。
当時、それが免疫グロブリン(血液製剤)とは知らされていたわけでもなくただ投与していたという感じだった。退院時、私の病名欄には慢性炎症性脱髄性多発神経炎という見た事も聞いた事も無い疾患名が書かれており、保健所へ行くまでそれが国の特定疾患である難病とは夢にも思っていなかった。
それから3年、私の周りから普通という文字は消え、自由と言う言葉も無くなった。市立病院は大学病院からの派遣の先生が多く、3月になると異動になる先生が多い。私がこの病になってからすでに3人の先生が異動し都度主治医が変わってきた。
今は電動車椅子生活でどこに移動するにもこれがなければ歩く事すら出来ない。
唐突ではあるけど今日はこの辺で終了。