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私の職業 [雑談]

私の職業は自営業です

筆文字代筆 ぷにゃきち笑店というサイトを運営しています。

CIDPを発症するまでイラストレーター、プログラマー、そして畑違いの料理人と様々な職についていた。

しかし、これまで得たスキルが今の職に役立っている。

最初は書道をしていると言う事で友人が子供を授かった時プレゼントがてら命名紙を書いていたのが事の始まり・・・

それは友人間で口コミで広まり、いつしか2人目が授かった時も普通に頼まれるようになっていた。

しかし、市販で販売されている命名紙は大概決まったデザインで思ったようなデザインがない。

そこでイラストレーターのスキルを使い自分オリジナルの背景を描きそれをフレームにして名前を揮毫するという考えに至った。

それから数年後、もっと早くに取得していたであろう書道師範を漸く取得

そして、あの忌まわしい病魔に取り憑かれ、職を失った。

会社としてはまだ治る余地があるのだからと会社に席を置いて下さったがさすがに3年も経過すると申し訳ない気持ちと新入社員の顔が分からない上に技術は日々進歩する矛盾に耐えきれなくなっていった。

仕事としてリア充してお世話になった会社を後にし、その後は闘病生活・・・

難病受給者証を受け取り、主治医の先生の提案で障害者手帳の申請、上下肢2級の1級の手帳を取得して障害者が申請すれば貰えるかもしれない障害基礎年金を申請したが3つの要件に1つが当てはまっておらず受給不可であった。

仕事もない、障害年金も貰えない。無職の無収入である。この病を患い、一人で生活出来なくなった私は、地元にある実家へ帰らざるを得なくなった。そうでなければ筋力の弱った身体では転倒し傷をおう可能性が高いからだ。

こうして両親の脛をかじりながら病院での治療や入院をさせて貰い、生きながらえさせて貰っています。

しかし、これは両親が生きていてこその闘病生活。

病院に入院するにも難病受給者証を持っていてもその資金は両親の貯蓄から成り立っている。

今はこうして両親に甘えているが最悪の事を考えたら自分で何とか収入を得る事が大事だと考えた。

しかし、今の私に何が出来るだろう。入院しながら仕事?限りなく不可能に近い・・・

そうなれば自分で起業し何かをして収入を得なければならないと考えた時、頭を過ぎったのが『命名紙』だった。こうして筆文字代筆 ぷにゃきち笑店は誕生し、今現在に至る。

現在、ぷにゃきち笑店BASE店はリニューアル中である。その代わりと言ってはなんだが他サイトでもぷにゃきち笑店はある。

もじの素』という筆文字を販売しているサイト、わたしはぷにゃ吉右衛門美菖蒲介光陽(ぷにゃきちえもんよしあやめのすけこうよう)という書家名で提携を結んでいる。まだ提携して1ヵ月足らずだけど人気書家ランキングに食い込んだ。

まあ書家の数は少ないけども個人オーダーの数が意外と多い。

ずっと続けてきた趣味の書がこんな形で役に立つとは夢にも思わなかったが今は、これで十分に感謝している。下にバナーを貼っておきます。お暇な時に覗いていって下さい。

今日も長文になってしまった。

ここまで呼んで下さり誠に感謝です

恐惶謹言


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