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39回目の [雑談]

今日は喜んで良いものなのか私の39回目の誕生日でして・・・

過去3年私の誕生日場所は病院でした

誕生日どころでは無かったんです

CIDPの痛みに苦しみ、嘆き、涙に流し、苦痛に耐えなければいけない日々

歳をとる度に悪化していく我が病

一時期はこのまま逝ける方法はないものかと鬱になりかけた事もありました。

それを救ってくれたのは精神科のY先生でした。

ただ自分の生い立ちから成人になるまでの話しかしてないのになぜか心が安らんでいくんです。あれは不思議でしたね。

39年前、夜中の2時に母に陣痛が来て実家からほど近い産科医院に連れられ、長男で最初のお産だったので母も相当苦しんだようです。父もいたんですがその父はというと飲み会に参加して不在だったと聞きます。携帯が無い時代、どこにいるかもわからず私の祖母はかたっぱしから地元にある飲み屋居酒屋に電話したそうです。

ようやく居所を掴み、もうすぐ生まれるとベロンベロンに酔っ払った父に水をぶっかけ平手打ちを二回。そしてこう言い放ったようです。自分の妻が苦しんでるのに自分は飲んでる場合かこの馬鹿たれが!!と一喝したのを今でも祖母から聞いた話ですが覚えています。

結局の所、出産には間に合ったみたいなんですが今程。分娩室に入って喜びを分かち合うことはなかったらしく病室にきてから初めて私と対面したそうです。そして第一声が結構間が空いてから可愛いけど猿だなだったそうです(*´∀`*)

ある芸能人が自分の誕生日に自分を祝って貰わず生んでくれてありがとうと母を祝う事にしたそうなんです。それに見習い、わたしも27~8歳ぐらいからだったでしょうか・・・母へ花束や胡蝶蘭を送るようにしてメッセージカードにありがとうの文字をしたため送ったものです

でも今や生んだ事さえ後悔しいるだろう母へ何度も言った事があります

こんな身体になってゴメン・・・・と

母はなったものはしょうがないから頑張っていこうと私をいつも励ましてくれます

わたしもそれに応えねば・・・・と思っていますが自分の決意とは裏腹にCIDPの進行は抑えられるはずも無くただ日に日にその勢力を強めていくのがわかります。

血漿浄化療法はその時その時だけの痛みを和らげてくれる一瞬の一時

永続的に続く日はまだまだ先だと私は思う。

それまでに母に両親に孝行出来る日が訪れるのだろうかと思い悩む

でも頑張るしか無い

先生の言葉を信じよう。治らないと言われても少しでも今より改善できれば良い。

来年は今よりずっと良い誕生日になりますように・・・
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